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「リアリティーのダンス」 オオニシヒデヲのザ・レビュー その15
2014年09月22日

アレハンドロ・ホドロフスキー。
「エルトポ」「ホーリーマウンテン」で知られる、危ない監督。

私は、絶対好きな監督だろうと予測しつつ。
ずーっとアンテナにひっかかってたまま、結局、まだ一本も彼の映画を見てなかった。
逆に言えば、無理して見ないようにしていたとでも言うか。
こういう危険な監督の映画は、ファーストコンタクトが大切だから。
「初めて鑑賞する日を大事にしよう」と心に決めてた。
シチュエーションがしっかりそろうその日まで、と。

さて。
「リアエイティーのダンス」は、ホドロフスキーの23年ぶりの新作だとか。
初鑑賞が新作って、悪くないファーストコンタクトかもしれん。
と、映画館に駆け込んだ。

結果。
ホドロフスキー初体験が、新作「リアリティーのダンス」だったこと、しかも、映画館で体感できたことは、
自分にとってはとても贅沢なものであった。

意味とか言葉とか理由とかそんなの通り越して、「何か」がガツーンと伝わってきた。
何がなんだかよく分からない映画だが、最初から最後まで兎に角目が離せなかった。
久々に、映画に狂った。
強烈な色、意味の分からぬ描写、ほとばしるパッション、慈愛。
それに感じるはずのない、風、海、波、匂い、感触。
沢山の「何か」が伝わってきた。

とんでもなく「オリジナル」な映画であった。
いや、もう映画すら通り越してアート、オリジナルアートだ。

完全にオリジナルなものは、解釈が難しい。
そもそも解釈するのは、不可能に近い。
良いとか悪いとか、ためになるとか、歴史が変わるとか、そういうものではない。
オリジナルを図る物差しは無い。

完全にオリジナルなものを前にしたときは、そこには作品と観客が存在するだけだ。
何かが通じあったかどうか。
何かを感じたかどうか。

相性。
好き。
愛情。
感覚。
空気感。

理性とは全く違う尺度でその作品をとらえるしかない。

しかし。
相性の良いオリジナルな映画を見ると。
その映画を観る前と見た後で、いつもの景色が違って見える。
それは、とても心地よいものである。

自ら、商業主義の映画が嫌いというホドロフスキー。
しかし、決してアングラにならず。
とてつもなくハッピーにパワフルに大胆に、
自分の中にあるアートをできるだけ多くの人に見てもらいたいと、純粋に願ってるこの男。
彼の情熱的で真っ白な魂に、しっかり感動したよ。

「リアリティーのダンス」を評することは不可能だ。
だが、私にはとてつもなく面白い大興奮映画であった。

 

映画「リアリティーのダンス」
点数:0~100点
勘所:何かを感じますか?
教訓:初体験は大切に

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